一乗谷には、古絵図や資料からみると、約40の寺院があったと推定されています。
朝倉氏は、越前入部後、特に文明年間越前守護代として守護斯波氏にとって代わり越前を実力支配するようになってからは、数多くの合戦に出陣しており、戦国の世での安寧を宗教に求めようとしていたようです。
このため、朝倉氏自身は代々曹洞宗に帰依していましたが、一族や家臣達は、一向一揆で敵対関係にある本願寺派以外の臨済・浄土・天台・日蓮法華など各宗派に帰依し、檀那として寺院を支えていたと考えらています。
朝倉氏時代で、特筆すべきは、天台宗真盛派とその開祖真盛上人の活動です。
長享二年八月、府中に逗留した真盛上人を、朝倉貞景は一乗谷安養寺に招き、その説法を聞き帰依したとされます。これによって多くの朝倉氏被官人の帰依を得て、真盛派は繁栄しました。
一乗谷に残る3,000にものぼる石仏・石塔の大半は、天台宗真盛派の布教活動が活発化したのちのことで、西山光照寺・盛源寺・法蔵寺・極楽寺・最腸寺など真盛派の寺院に石仏・石塔が多く集中しています。これは真盛派が石仏・石塔を多く作る宗派だからです。
なお、一乗谷周辺に分布するの石仏・石塔のうち年号のあるものについて調た結果、天文・永禄年間に造立のピークがみられるとのことです。このころ、朝倉氏は加賀、美濃、近江、若狭と出兵を繰り返していました。
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